[月刊チャージャー]

山本恭司のRock Charger
 
Rock Charger 対談(マリーン)
2歳の頃からエンターテイナー

山本:今回は2009年の1月にリリースされる、僕がプロデュースしたアコースティック・カバー・アルバム『ROCK LEGENDS REBORN』で歌ってもらったマリーンに来てもらいました。今日は生い立ちから話してもらいたいんだけど、いつ頃から歌うようになったの?

マリーン:ママが言うには、2歳の頃から歌っていたらしいです。私は覚えていないんですけど。それもお客さんが遊びに来たときだけ歌っていたそうです(笑)。

山本:2歳の頃からすでにエンターテイナーだったんだね(笑)。どんな歌を歌っていたのかな? 童謡とかポップスとか?

マリーン:たぶん、アドリブで(笑)。

山本:家族も音楽が好きだったの?

マリーン:ママは結婚する前、ビッグ・バンドのシンガーでした。でもパパは音痴(笑)。

山本:じゃあ、お母さんのDNAを受け継いだんだ。

Rock Charger 対談(マリーン)
HP『MARLENEJAZZ.COM
マリーン:
でも私の家族だけが特別音楽が好きだったというわけではなくて、フィリピンはみんな音楽が大好きなんです。日本では家で大きな音で音楽を聴いていたら、近所迷惑だからやめなさいって言われるでしょう? フィリピンでは隣の家から音楽が聴こえてきたら、こっちも大きな音で流すんです(笑)。怒る人なんていません。子供たちが自転車にラジカセを積んで、音楽を鳴らしながら、街を走っていたり。

山本:本格的に歌うようになったのはいつ頃から?

マリーン: 10歳くらいからタレント・スクールに通うようになりました。そこは毎週オーディションがあって、それに受かるとテレビやラジオに出演できるんです。難しい曲を歌った方が合格する確立が高いので、バーブラ・ストライザンドの曲とかジャズのスタンダードを歌っていました。それから14歳のときに、ビアガーデンで歌うようになりました。でもね、14歳では本当は出演できないんです。だから、18歳ですって嘘をついて(笑)。2回くらいはステージに立てたんですけど、あるとき、お店の人から、住民票をもってきてと言われたんです。まだ子供だったからよく考えもせずに、住民票を渡したんです。そこには年齢が書いてあるじゃないですか。それでばれました(笑)。

山本:それでも歌はやめなかったんでしょう?

マリーン:それから1年くらいは歌いませんでした。15歳のときに、タレント・スクール時代の友達から連絡があって、「ダブル・ブッキングしちゃったから代わりに歌ってくれる?」って。また歌えることになって、すごく嬉しかった。それがシンガーとしてのスタートですね。でも歌っていたのは、プロになりたかったからではなくて、大学に行きたかったからなんですよ。学費を自分で稼ごうと思って。

山本:それはすごいね。日本ではそのくらいの年齢だと、親のすねかじりだけど。フィリピンでは当たり前の考え方なの? 子供たちは早くから独立したいって思うの?

マリーン:そうですね。早い子供は10歳くらいから、そういうことを考え始めますよ。それで、私は大学に出て外交官になりたかったんです。そのためには歌でお金を稼ごうと思っていたんです。

山本:そうか、自分の夢があって、大好きな歌で学費が稼げたらいいなっていう気持ちだったんだ。

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