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山本恭司のドリームセッション対談
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【対談】山本恭司のドリームセッション対談/ゲスト:坂本英三(ANTHEM・アニメタル) マイクを置き、販売員・運転手へ転じた後再びボーカルの道を進むその生き様とは…
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野口五郎からディープ・パープルへの衝撃!


山本:今月は、ANTHEMそしてアニメタルのリードシンガー、坂本英三君の登場です。1985年にANTHEMのボーカルとしてデビューして、87年に一度脱退。その後は『メガネドラッグ』の店員やタクシー運転手とか、ミュージシャンには珍しいくらい、いろんな経験してるんだよね。出身地は東京なんだ?

坂本:生まれたのは愛媛県の宇和島のほうなんですけどね。4歳くらいまでしかいなかったから僕自身は記憶がないんです。その後は東京なんですけど、父親が商社に勤めてて、転勤が多かったんですよ。

山本:へえ、じゃあ転校も多かったんだ。すぐに順応できるタイプだったの?

坂本:う〜ん、山形に4年ほどいた頃は、まだ幼稚園や小学校低学年で幼かったからか、なかなか馴染めなかったですけどね。けっこういじめられたりすることもあったけど、一度そんな状況を乗り越えると、もう何も怖いモノはなくなるみたいな(笑)。転校が多いと、常に1対40とかになって、それが普通になってました。今でも、場違いな場所にいることは全然苦にならないですね(笑)。

坂本英三(ANTHEM・アニメタル)
■ゲスト:坂本英三(ANTHEM・アニメタル)
1985年、ヘヴィメタルバンド「ANTHEM」へボーカルとして加入し、メジャーデビューを果たす。その後、ANTHEMを脱退し、メガネ店販売員・タクシー運転手などに身を転じる。並行して「練馬マッチョマン」「インドヴォルクのお店」などのバンド活動も行う。1996年、「アニメタル」にボーカルとして参加し、10年ぶりにメジャー復帰。ヘヴィメタルとアニメソングの融合、そして坂本英三の力強いシャウトがファンから高く評価され、「アニメタル」は絶大なる人気を得る。2000年、水木一郎・影山ヒロノブ・松本梨香・遠藤正明のアニソン界の実力派シンガーたちと共に「JAM Project」に参加。その後、活動を再開した「ANTHEM」へボーカルとして復帰。基本的にJAM Project・アニメタルの活動を「さかもとえいぞう」、ANTHEMの活動を「坂本英三」と、表記を使い分けている。
坂本英三オフィシャルサイト
ANTHEMオフィシャルサイト
山本:ははは。でもさ、転校するのは、逆に過去をリセットして、突然人気者になっちゃう可能性だってあるじゃない。

坂本:あ、それはあります。音楽を始めたのも、中学三年生の時の転校がきっかけでした。それまで通っていた調布の中学校には、1コ下に荒木大輔投手がいたりするスポーツ系のマンモス学校で、運動もできない僕なんか、いてもいなくても意味のない存在だったんです。それで三年生になる時、転校することになって。「よし、俺はミュージシャンになろう!」って。


山本:お、転校前に作戦を立てておいたわけだね。ところで当時は、何かコンプレックスとか抱えてたりした?

坂本:もうコンプレックスの塊(笑)。小学生の頃はクラス一の肥満児で、50m10秒4っていう驚異的な記録もあります。なかなかこんなに遅く走れないんですよ。目も悪くて、今みたいにコンタクトや軽いレンズなんてないから、分厚いメガネをかけてましたね。

山本:ええっ? 今からは想像できないなぁ。

坂本:今も太らないように気をつけてますから。でもね、自分を卑下はしていなかった。当時、まず野口五郎さんに憧れたんですけど、誕生日が同じだったりして。僕にも近づけないことはないだろうと。

山本:ポジティブでいいね。五郎君と同じってことは、2月23日だね。僕は3月23日で、親近感あるんだよ(笑)。じゃあ、音楽のきっかけは歌謡曲だったんだ。

坂本:そうですね。中学生の頃に歌っていたのは、野口五郎に西城秀樹、布施明さんとか。昭和の最後の人たちって、まさに選ばれた人っていう輝きがすごかった。だからすごく憧れて、夢は紅白に出ることでした(笑)。

山本:確かにあの人達は歌の上手さも個性も強力だったからね。それが、いつ頃からロックに?

坂本:高校に入って、友達の影響でディープ・パープルの『マシン・ヘッド』を聴いたんです。『ハイウェイ・スター』のシャウトを聴いて、もう全部ぶっ飛んだ。それまで聴いて歌ってた、野口五郎やツイストは「お子様だ」って。もうハンマーで頭を殴られたような衝撃で動けなくなったんです。でも、5分後には「いや、俺にもできるだろう」って(笑)。それから、ひたすらシャウトを練習しましたね。

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