■ゲスト:坂本英三(ANTHEM・アニメタル) 1985年、ヘヴィメタルバンド「ANTHEM」へボーカルとして加入し、メジャーデビューを果たす。その後、ANTHEMを脱退し、メガネ店販売員・タクシー運転手などに身を転じる。並行して「練馬マッチョマン」「インドヴォルクのお店」などのバンド活動も行う。1996年、「アニメタル」にボーカルとして参加し、10年ぶりにメジャー復帰。ヘヴィメタルとアニメソングの融合、そして坂本英三の力強いシャウトがファンから高く評価され、「アニメタル」は絶大なる人気を得る。2000年、水木一郎・影山ヒロノブ・松本梨香・遠藤正明のアニソン界の実力派シンガーたちと共に「JAM Project」に参加。その後、活動を再開した「ANTHEM」へボーカルとして復帰。基本的にJAM Project・アニメタルの活動を「さかもとえいぞう」、ANTHEMの活動を「坂本英三」と、表記を使い分けている。 ・坂本英三オフィシャルサイト ・ANTHEMオフィシャルサイト 山本:ははは。でもさ、転校するのは、逆に過去をリセットして、突然人気者になっちゃう可能性だってあるじゃない。 坂本:あ、それはあります。音楽を始めたのも、中学三年生の時の転校がきっかけでした。それまで通っていた調布の中学校には、1コ下に荒木大輔投手がいたりするスポーツ系のマンモス学校で、運動もできない僕なんか、いてもいなくても意味のない存在だったんです。それで三年生になる時、転校することになって。「よし、俺はミュージシャンになろう!」って。 山本:お、転校前に作戦を立てておいたわけだね。ところで当時は、何かコンプレックスとか抱えてたりした? 坂本:もうコンプレックスの塊(笑)。小学生の頃はクラス一の肥満児で、50m10秒4っていう驚異的な記録もあります。なかなかこんなに遅く走れないんですよ。目も悪くて、今みたいにコンタクトや軽いレンズなんてないから、分厚いメガネをかけてましたね。 山本:ええっ? 今からは想像できないなぁ。 坂本:今も太らないように気をつけてますから。でもね、自分を卑下はしていなかった。当時、まず野口五郎さんに憧れたんですけど、誕生日が同じだったりして。僕にも近づけないことはないだろうと。 山本:ポジティブでいいね。五郎君と同じってことは、2月23日だね。僕は3月23日で、親近感あるんだよ(笑)。じゃあ、音楽のきっかけは歌謡曲だったんだ。 坂本:そうですね。中学生の頃に歌っていたのは、野口五郎に西城秀樹、布施明さんとか。昭和の最後の人たちって、まさに選ばれた人っていう輝きがすごかった。だからすごく憧れて、夢は紅白に出ることでした(笑)。 山本:確かにあの人達は歌の上手さも個性も強力だったからね。それが、いつ頃からロックに? 坂本:高校に入って、友達の影響でディープ・パープルの『マシン・ヘッド』を聴いたんです。『ハイウェイ・スター』のシャウトを聴いて、もう全部ぶっ飛んだ。それまで聴いて歌ってた、野口五郎やツイストは「お子様だ」って。もうハンマーで頭を殴られたような衝撃で動けなくなったんです。でも、5分後には「いや、俺にもできるだろう」って(笑)。それから、ひたすらシャウトを練習しましたね。 ●次のページは、「計画的シャウトでANTHEMに加入!」